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「一脚の椅子・その背景 モダンチェアはいかにして生まれたか」(島崎 信著/建築資料研究社)

 椅子の世界は、身近でありながら奥深い世界である。長い時間に渡って人間を支える座と背、床から必要な高さを保つ脚からなる機能的な道具でありながら、同時に彫刻的な自由度を持った美しさも問われる立体造形物である。しかもモダンチェアは、単品の作品ではなく量産を前提とした工業製品である。工業製品でありながら、常に身体とつながっているところに、その奥深い世界が開かれている。

 「一脚の椅子・その背景」と名付けられたこの本では、名作椅子と呼ばれ、長年に渡りロングセラーとなっている北欧や日本の15のモダンチェアについて、デザイナー本人(それがかなわぬ際には、ご家族)にインタビューしながら、一脚の椅子の背景を、それが生まれでた時点まで溯って明らかにしている。著者は、その椅子の調査研究にあたってはいくつかの原則を設けている。その中には、「一脚の椅子」はデザイナー一人ではできるものではないという考えに基づいて、デザイナー本人へのインタビューだけでなく、その椅子のメーカー、工場を訪問し、その設備、工程を知り、関係者の技術的な見解を聞き、資料、図面等も幅広く収集することも含まれている。

 名作椅子は、一般の人たちが使えるような価格で生産ができるという命題を満足させながら、一方で人々を魅了する座り心地、フォルムを持つといった一見相反する要素を兼ね備えている。それらの成立の過程を、丹念な取材によって収集した多面的なヴィジュアル・インフォメーション(椅子単体での写真、デザイナーの自宅などに置かれスペースの中で生きて使われている姿の写真、製造過程やディテールなどが見てとれる写真、図面、スケッチなど)を通して明らかにしている。それら名作椅子に多くの影響を及ぼし、モダンチェアのさきがけとなったシェーカーとトーネットの椅子についても、それぞれ章を設けて言及している。

 著者は、この本に述べられている内容は、「一脚の椅子・その背景」の大海原に漕ぎ出したところの、ほんの第一章という気持ちであるとし、続編のための調査研究を開始することを述べているが、イタリア、アメリカなどの名作椅子についてもその背景を明らかにして頂ければ、さらにモダンチェアの豊かな世界を見ることができるようになると感じた。

(「住宅建築」2003年2月号)

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