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「伊東豊雄の三つのホールをめぐって」

1.はじめに

 伊東豊雄は、今回の「まつもと市民芸術館」をはじめ、この10年間にいくつかのホールを設計し完成をさせている。ここでは、「長岡リリックホール」(1996年)、「大社文化プレイス」(1999年)、「まつもと市民芸術館」(2004年)の三つのホールを概観しながら、伊東豊雄のホール建築のデザインについて考えたい。

 「長岡リリックホール」は、700席のコンサートホール、450席のシアター、大中小10室のスタジオからなるコンプレックスである。新潟県長岡市の文教ゾーンの一角に立地しており、近くには信濃川が流れている。(敷地面積39,700㎡、延床面積9,708㎡)長岡市にはすでに1500席の多目的ホールがあったため、音楽と演劇を主とした中規模の専用ホールをメインとしたホールが計画されている。

 「大社文化プレイス」は、600席の多目的ホール、250席の小ホール、10万冊の収蔵能力を持つ図書館からなるコンプレックスである。大社町役場に隣接した、正面性のない不整形な敷地であり、長岡以上にコミュニティ・ユースが求められた建築である。(敷地面積20,400㎡、延床面積5,847㎡)

 「まつもと市民芸術館」は、1800席の大ホールと240席の小ホールを中心としたコンプレックスである。松本駅からつながるメインストリートに面し、街の中心に位置した敷地である。旧市民会館が建っていた敷地は、極端に南北に細長く、この規模と機能を持った建築の敷地としては不適格ともいえる形状をしている。以前に旧市民会館が建っていたという経緯を抜きにしてはありえない敷地であろう。(敷地面積9,142㎡、延床面積19,184㎡)長岡の建物と比べてみれば、大雑把に言って4分の1の面積の敷地に、2倍の床面積の建物が建っていることになる。(平面図参照)その計画与件は、最終的にはそのデザインにも強く影響していると見るべきであろう。

2.「長岡リリックホール」のデザイン:屋根性-ルーフ-の卓越

 「長岡リリックホール」では、十分な広さを持った敷地に対して、楕円と矩形のシルエットを持った二つのホールのヴォリュームは、緩やかなカーブを描いた東西軸に並列に配置されている。全体は浅いヴォールトの大屋根に覆われ、二つのホールのヴォリュームだけが、その大屋根から突き出している。建物の南面には、なだらかな芝生のスロープがつくられ、2階レベルのホワイエスペースへとつながっている。スロープ側からは地下にあたる1階レベルには楽屋等の出演者ゾーンが配置され、上下階で明確にオモテウラは分けられている。構造体の柱列はホワイエのガラス面の外に出ており、大屋根はさらにその構造体の外まで伸びている。その結果、芝生のスロープと大屋根が主たる視覚的要素となっていて、庇の奥にあるガラス面の存在感はうすい。屋根性-ルーフ-が卓越し、建築全体は大屋根が統合している。その意味で、伊東の自邸である「シルバーハット」や「八代市立博物館」の系譜に位置する建築といえよう。

 コンサートホールは、木リブ板の立ち並ぶ楕円形の平面形と、舞台両脇に配した2列のバルコニー席によって、舞台、客席が一体となった明るい音楽空間となっている。シアターは矩形平面のプロセニアム形式の暗い劇場空間となっている。ここでは、伊東自身も述べているように音楽ホールと劇場のオーソドックスな形式(彼はそれを、「ホールという固い形式」と呼ぶ)に基づき、それらに楕円形と矩形という幾何学を与え、それを緩やかな三次曲面の屋根で統合するというデザインになっている。

3.「大社文化プレイス」のデザイン:大地性-アースワーク-の卓越

 「大社文化プレイス」では、不整形な敷地に対して町役場や健康福祉センターを囲むように曲線の周遊路が設定されている。その周遊路に沿って、文化プレイスは建っている。多目的ホールのフライタワーだけが突き出ているが、あとは一つの屋根に覆われている。しかしながら長岡とは異なり、その屋根は庇状となって突き出ることなく、ガラス面やコンクリート打放し面の壁面に出会うところで屋根は終わりになっている。図書館側では、その屋根はそのままのスロープで芝生面に連続している。屋根面と芝生面をあくまで分節して見せていた長岡とは対照的な扱いとなっている。それ故、ここでは大地性-アースワーク-が卓越しており、視覚的に見れば軽く浮遊していた長岡の屋根に対して、大社の屋根はほとんど大地と一体に感じられ意識としては沈み込んで見える。

 一方内部空間では屋根面の下の天井面の連続性は、デッキプレートをストライプ状に一方向に流した天井により強調されている。その天井は、ホワイエ、図書館だけでなく二つのホールの内部にも連続して、全体の内部空間を統合している。その結果、二つのホールは、大きな屋根の下でたまたま壁(多目的ホールは折板状の壁、小ホールは円形の壁)をたてて、そこがホールとなっているように見える。特に大きい方の多目的ホール(だんだんホール)は、その段床がホールの外まで延長され、「だんだんテラス」と命名された楽しい場をつくりだしている。楕円と矩形という固いかたちの中に閉じ込めた専門ホールの長岡に対して、コミュニティ・ユースのホールである大社では、ホール内外の連続性が強く意識されデザインがされている。伊東は、そこで新しい公共施設を開くために、内なる世界を外と明確に隔てている建築の境界へ疑問を呈し、境界思想の変換を説いている。

4.「まつもと市民芸術館」のデザイン:壁性の卓越

 そして、「まつもと市民芸術館」である。もう一度敷地を見てみたい。「まつもと市民芸術館」の敷地は、松本駅からつながるメインストリートに面した南北に極端に細長い敷地であり、大部分は道路に接している。メインストリートとは、北の端の短辺で接しており、反対側の南の端あたりは住宅地が広がっている。敷地形状は北側のメインストリート側の幅が狭く、奥の住宅地側の幅が広いワインボトルのような形状をしている。プログラムによって与えられている1800席の大ホールと240席の小ホールを敷地に当てはめてみれば、誰が計画したとしても奥の住宅地側に大ホールが位置する計画となる。だが、通常普通に考えれば北側のメインストリート側から順にエントランス、ホワイエ、客席、舞台が並ぶ計画となるであろう。プロポーザル時の他の案はすべてそのような配置であったようである。しかしながら、伊東は客席と舞台の順列を逆にして、住宅地側に客席、敷地中心に近い側に舞台すなわちフライタワーをもってきたのである。それは、舞台上手側を広くとる舞台配置であり、その舞台配置という点だけをとってみれば一般的な解とは言えないだろう。その結果得られたのは、長いエントランス階段を上り、さらに大きくまわりこんでホワイエにまで至る長い道行きであり、建物全体のシルエットでいえば敷地中心近くにフライタワーの最も大きなマッスが位置する全体のかたちの構成である。その長い道行きは、劇場空間への道程としてふさわしいものあり、住宅地に面してフライタワーが屹立しない配置は、南側にある大きな木々をできるだけ残すのにも貢献したようである。このような舞台と客席を逆転して、エントランスから大きく回りこむ平面計画は、ヨルン・ウッツオンのシドニー・オペラハウスにも見られる構成である。シドニー湾に面した印象的な貝殻状のシルエットを達成するためには、このような平面計画が必要であった。敷地条件、周囲の条件は全く異なるが、建物全体の中心近くが最も高くなる構成は、そのような平面計画から生まれたのである。

 そのエントランスからホワイエに至る長い道行きは、当初プロポーザル案ではゆるやかな曲面を描くガラス張りのファサードとして構想された。しかしながら敷地周囲に対しての配慮と寒冷地であり断熱性能を向上するために、GRCにおむすび型をしたガラスを象嵌した壁面が開発された。長岡や大社で行ってきた境界面を薄く軽くつくる方法ではなく、不透明であってなおかつユーモラスな楽しさも備えた不思議な壁面が構想され、ボトルシェイプ型の曲面を描いている。「シルバーハット」や「八代市立博物館」の系譜に位置する長岡に対して、そのゆったりとしたGRC壁の曲面に覆われた内部空間は、「中野本町の家」のようだという指摘もあるようである。ミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸に見られるあくまで透明で内外が相互貫入するガラス・ファサードから出発して、ブルーノ・タウトのガラスの家に見られる不透明で鉱物質のガラス壁に到達したといえるであろうか。そこでの壁性の卓越は、際立っている。その壁性の卓越は、敷地条件、環境条件に起源を持つものであるが、それらの条件を超えてその鉱物質の壁面は、新たな空間を獲得している。

 大ホールの客席空間は、オペラの上演も意識した馬蹄形のバルコニー形式のものを伊東は提案している。それはヨーロッパで広く見られるオペラハウスの古典型としての馬蹄形平面を下敷きにしたものありながら、軽やかに現代的に解釈され、全体は下部の濃いワインレッドから上部の淡いピンクにグラデーションに彩色されている。波打つ突き板の仕上げは、エッジを照らす照明とも合わさり、エレガントな佇まいである。その内部空間は独自の世界をかたちづくりながら、その馬蹄形のバルコニーの曲面は、一方でホワイエの曲面に響きあっている。大社で見られるようなホール内外の連続性を目指したものでもなく、長岡に見られるようなホールはホール、ホワイエはホワイエという分けを目指したものでもなく、響きあう関係がまつもとでは追及されている。内部空間から辿って見れば、馬蹄形の曲面はホワイエに向かって流れ出し、メインストリートまで届いているといえる。かつて伊東豊雄は三つのホール建築を手がける前に、フランクフルトのオペラハウスの改築のコンペで当選した。それはヨーロッパのオペラハウスの馬蹄形の既存の客席空間に対して、パンチングメタルの天井と照明デザインを提案したプロジェクトであった。伊東は、フランクフルトでの経験(それは部分的な改築というささやかなものであった)から出発し、長岡、大社と醸成の時間を経て、この松本で実りの日を迎えたといえそうである。

参考文献
1.「長岡リリックホール」:新建築1997年1月号
2.「大社文化プレイス」:新建築2000年1月号
3.「まつもと市民芸術館」:新建築2004年7月号およびGA JAPAN 69号
4.フランクフルト市立歌劇場:別冊新建築 日本現代建築家シリーズ12「伊東豊雄」
5.シドニーオペラハウス:GA 54 Sydney Opera House

(日本建築学会建築計画委員会 劇場・ホール小委員会/劇場演出空間技術協会 教育研修会 共催シンポジウム冊子
「-まつもと市民芸術館-これからの劇場がめざすもの」所収)

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