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中村好みの空間 「意中の建築(上下)」(中村好文 著/新潮社)

 文章、写真、イラストからなるこの本は、建築家中村好文が選んだ古今東西にわたる「意中の建築」をコレクションした本である。中村は、歴史的な名建築であれ、路傍の粗末な小屋であれ、時には映画や絵画の中の建物であれ、彼の眼を惹きつけ、興味をそそるものなら、わけへだてなく好奇の「じっと見」の眼差しを注いでしまうという。本書は、そんな中村好みの空間コレクションを集めたものである。ル・コルビュジェのサヴォア邸やルイス・カーンのソーク生物学研究所のような近代建築の傑作から、映画「第三の男」に登場したウィーンの地下水道、作家檀一雄の能古島の家まで多岐にわたる。

 中村は、それらを訪ね歩き、その空間に長い時間わが身を浸しながら、文章を綴っている。チャールズ・ムーアの「偉大な建築物の実感を得るために最上の方法はその建物の中で目を醒ますこと」という言葉を実践しつつ、五感を持って建築を味わいつくし、それを平易な言葉とイラストで伝えている。建築家であるならば、通常は多くの建築を体験しているものであるが、それを建築に素養のない普通の人たちにも分かるように伝えることができるというのは、決して誰にでもできるわざではない。中村は、そのむつかしい仕事をやり遂げている。本書に登場する東急旗の台駅は、筆者もよく利用する駅で、以前から階段室は良い空間だと気にはなっていたが、ここまで考えてみたことはなく、ましてそれをこのようなかたちで伝えられるとは思ってもいなかった。

 建築の平面図や断面図は、神の目線による図面であるが、中村の描く図面は、平面図や断面図であっても、人が立ち、歩きまわる目線によっている。家具を丹念に描き、そこで行なわれているアクティヴィティが髣髴と浮び上がってくる。普通なら見過ごすようなディテールにも、眼差しを向け、その秘密を解き明かしている。したがって本書は、建築学生にとってすばらしい実践的な教科書となっている。多くの人たち、建築学生たちに、本書を手に携えて建築を巡る旅に出発してほしいものである。ここに登場している建築に旅立つのももちろん良いが、この本にある建築の味わい方、見方を身につけて、それぞれの人の「意中の建築」探しの旅に出るのも、一興ではないかと思う。

(「住宅建築」2006年2月号)

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